前回の記事で
弱音をはいてしまったところ
たくさんの方から応援をいただき、ありがとうございます。
嬉しい限りです。ときどき、より戻し、というのでしょうか、辞める方向で確信していても、急に複雑な気持ちになったり、逆に急に全てをうっちゃりたくなったり。
人間らしいといえば人間らしい。
弱さを認めたときに人間は強くなれるらしいので
強くなったということにして
ちょっとしみったれたスタートになってしまいましたが
今日は
信仰
についてです。
このテーマで文章を書こうと思ったのは、サッカーの日本代表の試合、先日のキリンチャレンジカップを見ていての事。
中村俊介などがいながらもスコアレスドローという結果でした。
え?サッカーと信仰、どう関係があるのかだって?
まあまあ、ちょっと聞いてて下さいよ。
海外でも
日本サッカーの組織力などは評価されています。
以前海外のクラブの監督だか選手だかが、日本サッカーに対してこうコメントしていました。(ものみの塔みたいに出所不明ですいません。覚えてなくて…)
日本は相手に対してとても脅威のあるサッカーをする。
しかし話は続く。
しかしそれはあくまでゴール15m前までだけれど。
つまり、何年も前から言われ続けている
得点力、決定力不足に言及していたわけですが。
これが
神に対する信仰と関係があるのではないか。
と思ったわけです。
話をヨーロッパにうつしましょう。
サッカーの一流選手が、
得点を決めた際、神に感謝している映像がよくハイライトでも放映されます。
一流選手は、一瞬の出来事がゆっくり見えたり、自分のこれから動く軌跡や、相手の動きがビジョンとしてはっきりわかって、瞬時に行動できると言います。
それはなぜなのでしょうか。
弟子たちが悪霊を追い出せなかったとき、イエスはこう言われました。
「あなた方の信仰が少ないためです。あなた方に真実に言いますが、からしの種粒ほどの信仰があるなら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言うとしても、それは移るのであり、何事もあなた方にとって不可能はないのです。マタイ17:20、新世界訳より引用。
盲人をいやされたとき
「あなた方は、わたしにそれができるという信仰がありますか…あなた方の信仰どおりのことが起きるように」マタイ9:29。
信仰とは
「望んでいる事柄に対する保証された期待」ヘブライ11:1。
ヨーロッパ圏の人々は基本クリスチャンで、神を信じています。神に祈り、神の力を信じているわけです。
そして
それを可能にする
自分の力を信じています。
自分が
絶対に点をとることができると確信しているわけです。
確信しているからこそ、それが現実になり、
そして結果が出たとき、その
確信をくれた神に感謝します。
イエスは信仰があればなんでもできる、つまり信念をもってそれが本当にできると心から確信して、神の名において、一点の曇りもない思いで行えば、それはどんな事でも
実現可能だと約束されました。
この
信仰。
果たして日本代表にはあるのでしょうか。
基本的に信仰心の薄い日本人にとって、「神」とは拝むものかもしれませんが、現実に自分に力を与えてくれる存在ではありません。
せいぜい気休めです。
しかしヨーロッパの人にとって、少し違うのかもしれません。
確信を与えてくれる絶対的な存在。なのかもしれません。
日本のサッカーに決定力がないのは
神
を信じる信仰がないから
といえるかもしれません。
ゴール前で点を決めるというのはひとつの極限状態です。
その中で
味方すべてが期待していることを
実現するという確信。
これはまさしく信仰ではないでしょうか。
ヨーロッパなどで活躍する素晴らしい選手たちは、
神を信じるといういたってシンプルな生活スタイルから
勝負強さや
メンタルの強さを得ているのかも、しれないですよね。
でも、本当に心から
信じる
それも不可能にも思えるような事を信じる
それは本当に難しい。日本人だからでしょうか、わたくしが。
だからこそ「信仰」なのでしょうが。
でもそう考えて、サッカー選手ができるのだから、
自分が真実を伝えて、本当に助けたい人が、絶対に助かる、そう一点の曇りもなく確信していれば、本当に助けられる。
そう思いました。
聖書は真実です。神のかたちに創られたわたしたちには、そんな、不可能を可能にするような力があるのだと思います。
最近ひとりの人に真実を話しました。その話はまた。